良い意味でどうしたんだろう?

口に物を含んでいるから話すのを後にする。

僕が左利きだからと箸置きの向きを変える。

そんな小さな気遣いが何個もできるようになる。突然。

どうしちゃったんだろう。

夫婦喧嘩

夫婦で仲良くやっていくにはどうすれば良いのだろう。

1ヶ月に1度は「家に帰りたくない時期」がやってくる。口も聞かない夫婦は悲しい夫婦だ。

一人暮らしの方がずっと気楽なような気がしてくる。結婚式を挙げたばかりだけど、すぐに「別居」や「離婚」という言葉がちらつく。

こうやって言葉に書き記せば、なんともありきたりな「夫婦の悩み」というやつ。だが自分自身にいざ降りかかると、まったく他人事ではない。

結婚式を挙げました (ブーケセレモニーでひざまづいた記録)

妻からの熱烈なリクエストに応じて、ブーケセレモニーでひざまずき「わたくしと結婚していただけますか」と改めてプロポーズをしたのだった。ちなみに白のタキシードも妻からのリクエストだ。

母や父や二人の妹たちにも囲まれながら、晴天の中での挙式であった。

我ながら、いや我等ながら、なかなか晴れ晴れしい、記憶に残る写真が撮れたのではないかと思う。

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「ただいま」「おかえり」は絶対に言いたい

たとえば夫が風呂に入っている時。

妻が玄関を開いて「ただいま」と言う。

返事が返ってこないと、聞こえる場所まで近づいて「ただいま」と呼びかける。

夫は声を振り絞って「おかえり」と返す。

おかえりとただいまは絶対に言いたい。そんな妻だった。

 

MacBookと笑えない話

昔は笑えていた話が、笑い飛ばせなくなって来たら、それは危険信号だ。

  • 笑える話
  • 笑い飛ばせる話
  • 笑えない話

同じようなシチュエーションでも、前者が後者に近づくにつれ、関係性の貯金が崩れてきているのではないかという疑問に突き当たる。

昔はどうにか飛ばせていた話で、今では笑えない話を、例えるなら、ヒットポイントがゼロ近くになりながら、やがて回復した頃に、話し合いの機会を設けている。

そのようなことを妻と話した。

たとえば、お願いのしかたを考える

「これをこうしてほしい」ということを、どうやってお願いしたら良いかを考えている。

ごく具体的な話。今日はMacBookを妻に貸していた。エンターキーの叩き方が強い。もう少し優しく扱ってくれるように頼んだ。

だが、妻にとっては些細なことで、僕にとっては重要なこと、価値観や感覚が違うことを、うまく伝えるのはなかなか難しい。

  • 優しくお願いする
  • 強くお願いする
  • 繰り返しお願いする
  • 他の作業をしておらず、聞くモードになってきている時にお願いする
  • 具体的な約束、ルール作りをする

この色々な方策すべてが難しい場合、次はどうすれば良いのだろう。

ひとつの案として、口頭ではなくLINEなどの文面で伝えるというやり方を提案した。まだ試行錯誤。

当然ではあるが、自分自身のやり方にも、絶対的な盲点があるということは想像に難くない。

「夫婦生活は試練だ」と誰かが言った

どうせ同じ試練なら、より良い試練でありますように。

 

夫婦関係よりも大事なのは、人間としての信頼関係だ。

  • 約束を守ること
  • 時間を守ること
  • プライバシーを尊重すること

こんな基本的なことの積み重ねで、人間関係は築かれている。

夫婦関係ともなると、ともすれば人間同士の基本を忘れがちなもの。しかし人同士の基本を忘れれば、たとえ僕らが気にするにせよ気にしないにせよ、関係の土台に亀裂が生じるのではないのだろうか。

信頼は貯金のようなものだ、という。プラスは積み重なるものだし、マイナスし続ければいつかは無くなってしまう。そしてほんの些細なことで崩れる時が来る。

たとえば10円の飴玉を買っただけで、自己破産に陥るような感じがするなら、それはそもそも貯金の残高がゼロに近かったり、赤字を重ねている場合なのかもしれない。「こんな些細なことで」関係が崩れかけるならば、それはきっと、土台にある信頼の貯蓄が崩れかけている時ではないだろうか。

僕らは人間関係においては、今月の水道料金を払えなくなった理由さえ、よく分かっていない。馬鹿だ。信頼の収支がどのような状態にあるのかを、見極められていない。

もちろん、これはあくまでも仮説だ。当たり前だけど、私以外私じゃないの。人間同士に起こっていることはあまりにも複雑で、必ずしも正確な理由を導き出せない。「関係性」という巨大なものの中で、何が起こっているのか。たとえば、なぜ自分があの時、あんな行動を取ったのかさえ、自分自身では分からない。適当な理由をでっちあげるか、もしくは多少の努力をして、真実らしい答えを仮定するしかない。

こんなことを書いていると、自分が聖人君子かのように結論づきそうな感じがする。だけど違う。そうではない。僕は対して誠実な人間ではなく、単にわがままな人間、わがままなままでいたい人間。品行方正な男にはなりたくない。だけど逆に、堕落しきった人生は寂しいものだろう、きっと。

時々あることだ。人間として大事なことについて書きはじめると、とたんに、自分が何が言いたいのかが分からなくなってくる。カンワキュウダイ。

僕は人間というものに対して、何らかの理想像を描きたいわけじゃない。そうではなく、なにか自分でもよく分からない問題が生じた時、本当の理由を、より真実らしい仮説を立てておきたいだけなのだ。きっと。

ということで改めて。夫婦関係の中核にあるものは、実は人間同士の信頼貯金である。以上。

 

妻は独り言が多い。夫は喋る前にフィルタする。

独り言と、僕に話しかけている時の区別が付きづらい。とりあえず思いついたことは順々に話す。49%の確率で独り言だろうという時もあるし、51%ぐらいだと思う時もある。なので毎回、脳が判断コストをかけている感じがする。

出来れば、どちらなのか分かるようにして欲しい。だが改めて考えてみる。そもそも「独り言」と「話」の区別をしようという概念さえ、実は無意味なのかもしれない。そのお互いを区別しようとしている僕が愚かなのではないだろうか。

逆に僕といえば、何か言葉を思いついた時は、それを言う前に慎重にフィルタをかけるタイプだ。フィルタをかけすぎて何も出てこないことさえある。

だけど世の中、言ってみなければ分からないこともたくさんある。最大限の予測を立てても、自分が思っていた反応が相手から返ってこない。意外な反応が返ってくる。そんなケースは実は割と多い。だから「思いついたら喋る」というスタイルは、妻に見習いたいと思っている部分だ。

妻と夫の宅急便受取問題

妻と僕とでは休日が違う。

なので「宅急便が来るから、この時間帯、家にいて欲しい」と頼まれることがあるのだが、基本的に断っている。

理由は特に変哲がない

シンプルに、休日を拘束されたくない。

いつでも出かけられる態勢にありたい。

それがたとえ確実に家にいる時間帯でも、心理的拘束がすごい

たとえば同じ1時間でも、自ら家にとどまる1時間と、家に縛り付けられた1時間はまるで違う。娑婆と監獄の違いと同じだ。

家にいながら「待ち」の態勢でいるのが辛い。

たとえ玄関まで3秒で行けるとしても、たとえばちょうど無印良品のハイバックリクライニングソファでくつろいでいる時間だったら、玄関まで行くのさえ辛い。

人には「ちょっとしたこと」に思えるかもしれないが、僕にとっては「拘束されるか、されないか」というのは切実な問題だ。

話し合いの結果

「宅急便を受け取ってほしい」というお願いは、お互いにしないということに決めた。

 

今日は妻にMacBookAirを貸す日。式のムービー作成のために。

僕がいつも行くスターバックスの二階で待ち合わせて、受け渡しをする。

 

なのでこのMacBookAirとも、今日はあと数分でお別れた。

Macには一時的にゲストアカウントを作ってある。

アイコン画像を妻が好きな「ポムポムプリン」にしておいたら、超小さなサプライズになるだろうか?

と昨夜考えていたのを思い出した。

間に合うか?

あと数分でセッティング。

結果

  • ネットからポムポムプリンの画像をダウンロード
  • 「右クリック」「共有」「写真に追加」。
  • だがしかし、アカウント設定ページに反映されない。再読込するも。
  • 結局、妻本人の写真をアイコンに選ぶ。
  • Macの裏技。カメラロールで画像を右回転させて、次に向きを戻す。
  • 最後にもう一度だけトライ。なんとか成功。

前も思ったけれど、Macのユーザー画像設定って、なぜこんなに使いにくいんだろう。

反応

かなり喜んでくれた。